曖昧な喪失(Ambiguous Loss)は、心理学者のポーリン・ボス(Pauline Boss)によって提唱された概念で、明確な終わりや解決がない喪失を指します。この喪失は、物理的または心理的な形で現れることがあります。以下に、曖昧な喪失の詳細について説明します。


曖昧な喪失の種類
曖昧な喪失には大きく分けて2つあります。主なものを以下にあげます。
物理的な存在の喪失(さよならのない別れ)
・行方不明者: 戦争や災害、犯罪などで行方不明になった人々。
・移民や難民: 家族・大切な人、故郷または愛着のある場所を離れて新しい場所に移住することで、物理的な距離が生じた場合。
・病気や事故: 昏睡状態や認知症などで、身体は存在しているが、精神的なつながりが失われる場合。
心理的な存在の喪失(別れのないさよなら)
主に患者のご家族・パートナー・友人などが以下の患者に対して喪失を感じることがあります。(患者は目の前にいるものの、患者との意思疎通が取りにくくなります。そのため心理的に喪失を感じやすくなります。)
・精神疾患: 統合失調症や重度のうつ病などで、患者との意思疎通が難しくなります。
・アルツハイマー病、認知症: 記憶や認知機能が低下し以前の人格や関係が失われるため、周囲の人々は以前のように意思疎通を取れず喪失を感じるようになります。
曖昧な喪失の影響
曖昧な喪失は、以下のような心理的・感情的な影響をもたらします。
複雑な悲嘆: 明確な終わりがないため、悲しみや喪失感が長引くことがあります。
アイデンティティの混乱: 喪失が続くことで、自分自身や関係性に対する認識が揺らぐことがあります。
ストレスと不安、うつ: 不確実性が続くことで、持続的なストレスや不安、うつ症状などが生じることがあります。場合によっては摂食障害に伴う体型変化も起こることがあります。
社会的孤立: 他者との共有が難しいため、孤立感が増しやすいです。


曖昧な喪失への対処法
曖昧な喪失に対処するための方法として、以下のようなアプローチがあります。
認識と受容
曖昧な喪失の存在を認識し、その感情を受け入れることが重要です。これにより、感情の整理が進みます。悲嘆のプロセスを経て少しずつ受け入れていきます。ですが、曖昧な喪失の場合、通常の悲嘆を受け入れて立ち直るまでの期間が長引く場合があります。
サポートネットワークの構築
家族や友人、支援グループなど、信頼できる人々とのつながりを強化することで、孤立感を軽減します。
新しい意味の創造
喪失に対する新しい意味や価値を見つけることで、前向きな視点を持つことができます。例えば、ボランティア活動や趣味を通じて新しい目的を見つけることが考えられます。
専門的な支援
カウンセリングやセラピーを通じて、専門家のサポートを受けることも有効です。心理療法やグリーフセラピーなどが役立つ場合があります。
曖昧な喪失の具体例
1. 行方不明者
戦争や災害などで行方不明になった方の家族やパートナーは、愛する人が生きているのか死んでいるのかを知ることができないため、物理的にはその人が存在していないが心理的にはその人がまだ生きていると感じることがあります。
このような状況では、明確な終わりがないため、長期間にわたって悲しみや不安を抱えることがあります。家族は希望と絶望の間で揺れ動き、感情的な閉塞感を感じることがあります。
戦争で行方不明になった兵士 :
家族はその兵士が生きているか死んでいるか分からないため、心理的な閉塞感や不安を抱え続けます。
自然災害で行方不明になった人々 :
地震や津波などの自然災害で行方不明になった人々の家族は、救助活動が終了しても希望を捨てきれず、長期間にわたって待ち続けることがあります。
2. 精神疾患
精神疾患を患う家族がいる場合、その人は物理的には存在しているが、心理的には別人のように感じることがあります。特に進行性の認知症の場合、以前の記憶や人格が失われるため、家族は心理的な喪失感を抱えることがあります。愛する人が「そこにいるけれどもいない」という感覚が、家族にとって非常に困難です。
アルツハイマー病患者 :
アルツハイマー病を患っている親が、自分の子供や配偶者を認識できなくなる場合、家族はその人が物理的には存在しているが、心理的には失われたと感じることがあります。
重度の認知症患者 :
重度の認知症を患っている家族が、日常生活の基本的な動作や会話ができなくなる場合、家族はその人が以前の自分とは異なる存在になったと感じることがあります。
統合失調症患者 :
統合失調症を患っている家族が、幻覚や妄想に苦しむ場合、家族はその人が物理的には存在しているが、心理的には別人のように感じることがあります。
重度のうつ病患者 :
重度のうつ病を患っている家族が、日常生活に興味を失い、社会的な関係を断つ場合、家族はその人が以前の自分とは異なる存在になったと感じることがあります。
3. 離婚や別居、別離
離婚や別居、親しい人とのお別れも物理的には存在しているが心理的には失われた状態を引き起こすことがあります。特に子どもにとっては、両親が物理的には存在しているが、家庭が以前のようには機能しないため、感情的な混乱を引き起こすことがあります。
また家族関係でなくても愛着を感じている人やペットとお別れした場合にも喪失を感じます。
離婚した親 :
離婚した親が子どもと離れて暮らす場合、子どもはその親が物理的には存在しているが、心理的には失われたと感じることがあります。
別居中の配偶者 :
別居中の配偶者が、物理的には存在しているが、心理的には失われたと感じることがあります。
4. 移民や難民
移民や難民として新しい国に移住することも曖昧な喪失を引き起こすことがあります。故郷を離れることで、物理的には新しい場所にいるが、心理的には故郷を失った感覚を持つことがあります。文化やコミュニティ、家族とのつながりが失われる一方で、新しい環境に適応する必要があります。
特に強制的に移動させられた場合や、家族と離れ離れになった場合、心理的な喪失感が強くなります。
戦争難民 :
戦争によって故郷を離れざるを得なかった難民は、新しい場所での生活に適応する一方で、故郷や家族を失った感覚を持ち続けることがあります。
経済移民 :
経済的な理由で故郷を離れた移民は、新しい場所での生活に成功しても、故郷や家族とのつながりを失った感覚を持つことがあります。
文化的な喪失
文化的な喪失も曖昧な喪失の一形態です。例えば、移民として新しい国に移住することで、故郷の文化や伝統を失うことがあります。
5. 失業やキャリアの喪失
失業も曖昧な喪失の一形態です。仕事を失うことで、自己認識や社会的な役割が不明確になり、将来への不安が増すことがあります。
特に長期間にわたって同じ職場で働いていた場合、失業やキャリアの喪失は、物理的には存在しているが心理的には失われた感覚を引き起こすことがあります。
長期間の失業 :
長期間失業している場合、以前の職場やキャリアが物理的には存在していないが、心理的には失われた感覚を持ち続けることがあります。
キャリアの転換 :
キャリアの転換を余儀なくされた場合、以前のキャリアが物理的には存在していないが、心理的には失われた感覚を持つことがあります。
6. 健康問題
慢性的な健康問題や障がいを持つことも曖昧な喪失の一例です。以前の健康な自分を失い、新しい現実に適応する必要があります。また曖昧な喪失を体験し、それが原因で摂食障害を伴って、体型が変化することがあります。
特に慢性的な病気や障がいを持つ場合、物理的には存在しているが、以前の健康な自分が心理的には失われた感覚を持つことがあります。
慢性疾患 :
慢性疾患を持つ場合、以前の健康な自分が物理的には存在していないが、心理的には失われた感覚を持ち続けることがあります。
障がい者 :
障がいを持つ場合、以前の健康な自分が物理的には存在していないが、心理的には失われた感覚を持つことがあります。
7. ペットの喪失
ペットが行方不明になった場合や、病気で長期間苦しんでいる場合、飼い主はそのペットが物理的には存在しているが、心理的には失われたと感じることがあります。
特にペットが行方不明になった場合、飼い主はペットが生きているのか死んでいるのかを知ることができず、感情的な苦痛を感じます。
行方不明のペット :
ペットが行方不明になった場合、飼い主はそのペットが生きているか死んでいるか分からないため、心理的な閉塞感や不安を抱え続けます。
病気のペット :
長期間病気で苦しんでいるペットが、以前のように元気に過ごせなくなった場合、飼い主はそのペットが物理的には存在しているが、心理的には失われたと感じることがあります。
8. 社会的な変化
社会的な変化や技術の進歩によって、以前の生活様式や価値観が失われることも曖昧な喪失を引き起こすことがあります。
特に大きな社会的変化や災害が発生した場合、物理的には存在しているが、以前の社会が心理的には失われた感覚を持つことがあります。
パンデミック:
パンデミックによって社会が大きく変化した場合、以前の社会が物理的には存在していないが、心理的には失われた感覚を持ち続けることがあります。
自然災害
自然災害によって家や財産を失った場合も曖昧な喪失を経験することがあります。物理的な喪失だけでなく、コミュニティや日常生活の喪失も含まれます。
9. 友人関係の喪失
友人関係の喪失も曖昧な喪失の一例です。特に長期間にわたって親しい友人が突然連絡を絶った場合、物理的には存在しているが、心理的には失われた感覚を持つことがあります。
突然の連絡断絶 :
長期間親しかった友人が突然連絡を絶った場合、その友人が物理的には存在しているが、心理的には失われた感覚を持ち続けることがあります。
友人の引っ越し :
親しい友人が遠くに引っ越した場合、その友人が物理的には存在しているが、心理的には失われた感覚を持つことがあります。
曖昧な喪失の研究と理論
ポーリン・ボスは、曖昧な喪失の理論を通じて、従来の喪失や悲嘆の理論では説明しきれない複雑な感情や経験を明らかにしました。彼女の研究は、以下のような点に焦点を当てています。
不確実性の受容: 曖昧な喪失においては、不確実性を完全に解消することは難しいため、それを受け入れることが重要です。
二重の現実: 物理的な存在と心理的な存在の間で揺れ動く現実を理解し、それに適応することが求められます。
レジリエンスの強化: 曖昧な喪失に対処するためには、個人や家族のレジリエンス(回復力)を強化することが重要です。

曖昧な喪失の未来の研究
曖昧な喪失の研究は、今後も進展が期待される分野です。特に、以下のようなテーマが注目されています。
・テクノロジーと曖昧な喪失: ソーシャルメディアやデジタルコミュニケーションの普及により、新しい形の曖昧な喪失が生じる可能性があります。
・グローバル化と曖昧な喪失: グローバル化に伴う移民や国際結婚など、国境を越えた人々の経験に焦点を当てた研究が進められています。
・パンデミックと曖昧な喪失: 新型コロナウイルスのパンデミックは、多くの人々に曖昧な喪失をもたらしました。この経験を通じて、新たな知見が得られることが期待されます。

私もコロナ禍に東京から地元に引っ越しました。その時はよくわかっていませんでしたが、曖昧な喪失を体験していました。
あれから4年経ちますが、いまだに喪失の悲しみを思い出しますし、体型も変化しました。
まとめ
曖昧な喪失は、明確な終わりや解決がない喪失であり、物理的または心理的な形で現れます。この喪失は、複雑な悲嘆やアイデンティティの混乱、ストレスと不安、社会的孤立などの影響をもたらします。対処法としては、認識と受容、サポートネットワークの構築、新しい意味の創造、専門的な支援などが有効です。今後も曖昧な喪失の研究が進展し、新たな知見が得られることが期待されます。

